キラキラな日々の記録。byぴかりん

V6とキスマイを中心に観たもの感じたこと。

舞台「Foerver Plaid 2016」 5/23,2016

舞台も好きだし、V6も好きだけれど、自担以外の舞台はあまり積極的に見ることがない私。主にはそんなに金銭的に余裕がないという理由で、自担以外も見に行っていると際限がないので割り切っている、というところがある。

しかし仕事ばかりの日々に嫌気がさし、なんとなく「現場に行きたい」気持ちがつい口を突いて出てきたころ、神のようなタイミングでお誘いが来た「Foerver Plaid」。申し込んですらなかったくせにお友達には即答で「行く!!」と返し、そして迎えることとなったフォーエバープラッド2016@東京グローブ座

 

一切予習なしで臨んだこのミュージカルだったけれど、小難しい話や演出なく、ただただ楽しんで見られる、こんな楽しい瞬間を待ってた!と思わせてくれるようなキラキラしたショウ。すごい。楽しい。

 

一番よくできてるなーと感心したのは、プラッズたち4人の絶妙なバランス。SOPHIAの松岡さん、我らがV6長野くん、もはやマルチタレントの川平さん、ミュージカル俳優の鈴木さん。

一見して華があるのは松岡さんだったり、歌うまいなーと思わせてくれるのは鈴木さんだったりするのだけれど、このステージにおいては誰かが誰かの引き立て役になることなく、4人ともがキラキラしてた。そして4人のおじさんなのに、なぜかとっても可愛らしく見えるという不思議。。。

松岡さんのもう、いかにも長年ロックバンドのフロントやってきました!って感じの観てる人を引き付けるパフォーマンス。長野くんの、安定しつつ和まされつつもしっかり醸し出すアイドルオーラ。川平さんは歌からダンスからしゃべりからアドリブまで上手で器用。鈴木さんは(すみませんこの舞台で初めて知ったんですけど)歌唱力が素晴らしくて、一方で歌が上手なだけじゃなくて存在感もバチっと。(途中のスフィンクスのネタやるとこなんてめちゃくちゃ面白かった・・・)

思うに、4人が4人とも活躍している分野が違っていて、違うからこそお互いの持ち味がちょうどいい感じにばらけていてそれがすごく絶妙なバランスを醸していたんだと思う・・この配役考えた人誰なんだろう、素晴らしすぎるね。

その4人が歌うときには本当に仲よさそうに、可愛くて楽しいパフォーマンスを見せてくれるのだから楽しくないわけがない。本当にこんな4人組がいたんじゃないのかなって、思わせてくれるような楽しいステージでした。

 

しかし驚いたのは、松岡さんが歌うときかなり客席(しかもある程度固定されたとこ)ガン見で、アピールしながら歌っていたことと、長野くんが最後のカーテンコールで「今日は外国の方も見えられていて・・ほら、あそこに。」と、そんなちゃんと客席観てたんだ?!と思わせられたとこですね。

松岡さんのは、おそらく自分のファンの人の顔を覚えていてその方たちにいわゆるファンサをしていたのかな・・と。あんな綺麗な顔の松岡さんにちゃんと認識された前提であんなに見られたらもうそりゃあ嬉しいし追いかけちゃうよなぁ・・別にファンサなどもらえなくてもおっかけている身からすると、うらやましいようなちょっと怖いような。

そして長野くんのは、いかにも「客席見てる」感がなくても知らないうちにどんな人が来てるか把握するのさすが長年アイドルやってるだけある・・さすが芸歴30年・・。たしかに長野くんってコンサートでもよく気づいてくれるイメージがあるな。私の「楽しい!ありがとう!」の気持ちも伝わっただろうか。顔から。笑

 

そんなわけでプラッズたちに癒された公演でした。

こんな何も考えずに、観て楽しかったー!て思える作品に出会えてうれしい。

映画「ヒメアノ~ル」 2016 5/29, 6/18

はてなブログ始めたはいいけどアイコンが横向いたまま直らない。

まぁいいや。

 

※ネタバレあります。

映画「ヒメアノ~ル」を2回観てきた。

観終わったあと、すごくこの映画のことたくさん考えて、それでもなかなか言葉にならないままの日々が続いた。

自分の思っていることを代弁してくれているようなコメントがないかと映画レビューなんかを漁ってみたけど、「森田剛の怪演がすごい」「悲しくてやるせない」、そんな言葉だけでまとめるよりもう少し考えたくて悩んでいた。悩んでもどうしようもないので、まとまらないまま記録しておく。

 

まず、映画のスタンス。

何を感じるかが観る側に委ねられているところが結構すき。人間ってやはり見るものに何かしらの意味を見出したがると思うんだけれども、この映画は、そういった「意味」がわからなくて、観終わったあと、「こんなバイオレンスな話で、悲しい話で、監督は、この映画は、何を伝えたかったんだろう?」と迷子になった。

この問いに対する答えは意外に早く見つかった。とあるインタビューで、𠮷田監督が「観る人がどう思うかはあまり気にしていない、自分が撮りたいものを撮った」といった趣旨のことを言っていたのだった。(関係あるようなないようなだけど、映画公開に合わせて多く発信された剛くんのインタビューの中でも、お芝居やるときに観た人はどう思うかあまり気にしていない、といった言葉を発していて、スタンスの一致に驚いた)

熱心な映画ファンではないからあまり大きな口で言えないけれど、一般的な映画は、感動してほしいところでは感動できるように、泣いてほしいところでは涙を誘うように、わかりやすくつくられているように思う。そんな中で、「観客が何を感じるか」がおまかせにされた映画はわざとらしさがなく、また「観客にどのように感じてほしいか」の意図がないために迷子にはなるけれど、余計な演出がない分、映画として世界観が一貫していてスッキリとしているように感じた。

 

次に、映画のストーリーに関して。

1回目観たときは、いつ迫ってくるかわからないダークサイドに怯えてロクに観ることができなかった・・。2回目観て、やっと落ち着いて考えながら観られた。

悲しい、やるせない話である。しかし、森田に同情するのはなんだか違う気がする。「いじめがあったせいでこんなに変わってしまった、可哀想な人」って感想は映画レビューでよく見たけど私はしっくりこない。同様に、「高校時代のいじめがサイコキラーになった原因っていうのは理由づけとして弱い」みたいなコメントも見たけれど、この映画においてポイントと思うのはどんな理由でこうなってしまったか、ではなくむしろ、「普通の人だって何かのタイミングで変わってしまう可能性がある、おかしな人だって普通だったかもしれない」というところで、そしてその境界線でどちらに転ぶかは本当は危うげなものだ、というところだと思う。

人生は平等じゃない。自分ではコントロールできない環境によって自分の生き方は大きく変えられてしまうことだってある。本当に悲しいことだけど、それは映画の中だけじゃなく現実でもそう。2回目観たときに一層、居酒屋で「底辺は幸せになれない」と話す森田が印象に残ったのは、1回目観たときの、自分ではコントロールできないものを抱えたまま生きるしかない森田の姿が頭にあったからだと思う。人を殺して幸せになれるわけではない。それでもほかの生き方がわからない、といったような。

そしてこの映画の「怖さ」について。

日常と狂気はすぐ隣にある。そこをリアルに感じるからこそ、この映画がゾクゾクくるんだろうな。そして、息を吐くように嘘をつき、日常生活の一つのように人を殺す森田の姿は、本当に何をするかわからない怖さがある。(そういえば、剛くんの舞台はこれまですべてじゃないけど観ていて、今回の役のように孤独を抱える役は多いけれど、舞台だと声で伝えるものが多いから「しゃべらない演技」は少し新鮮だったかもしれない。)何を考えているのかわからない。人を殺す動機は、ただ邪魔だからなのか、自分の身を守るためなのか、ムカつくからなのか。わからないから怖い。

「わからない怖さ」と関連して、安藤を殺さなかったことが、映画で疑問だったことの一つ。これだけ関係のない人たちを殺しておきながら、同様に邪魔者だったと思われる安藤はどうして殺さなかったのか。弾が切れたから殺せなかった、という可能性もあるけれど、追いかけてくる安藤を森田はもともと殺すつもりなく、ついてきたから仕方なく撃った、という印象を受けた。それ以外のところでは、殺そうと思えば殴ってでも何してでも殺す森田だったから、彼の「獲物」にはなっていなかったんだと思う。深い理由はないのかもしれないけど、私は、安藤に対しては、愛着のようなものがあったようにも感じた。それが「気持ち悪い先輩」として映って自分よりも格下だと思っていたのか、仲間意識(それはないか?)なのか、あるいはバカがつくほど前向きで、「金持ちだって自分たちみたいに不満を抱えながら生きてるはずだ」と考える安藤は森田にとって邪魔な存在ではないと思ったのか。

ムロツヨシさん演じる安藤は、この映画では本当にほこっと和ませてくれる存在感で、キーな役割だったと思った。森田同様、ストーカーすれすれ、危ない人すれすれでありながら、彼の存在がこの映画で「救い」になるのは、バカがつくほど前向きな気持ちが根底にある人だったからかなと思う。悉く振られても、また告白しようとする安藤。愛や正義は繰り返し伝えれば伝わると信じる安藤。スクリーンではすごくコミカルで滑稽に映るけど、本当は強い人なんだと思う。

安藤で一番好きだったのは、病棟でのシーンで、岡田に「絶交なんて言ってごめんね、僕たちは親友だよね」(セリフうろ覚え)と話しかけるところ。いい年したおっさんが、「絶交」「親友」なんて言うことは可愛らしくて滑稽だったけれど、苦しい中で岡田と親友だ、と話す安藤の純粋さが観る側にとって、また、なんでもない日々の中で自分のことを「親友」と呼んでくれる人が現れたことが岡田にとって、救いとなったのではないかなと思っていた。

一番印象に残るのは、やはり最後、森田が警察につかまるシーン。

突如として高校時代の自分のように振る舞う森田を最初見たときは、おかしくなって急に昔のことを話し始めたのかな、と思っていた。しかし、剛くんのインタビューを読むと、その原作とは違うラストのことを「昔に戻れる」と表現していて、そんなラストだからやりたいと思った、と話していた。それを読んで、「昔に戻れる」と感じる剛くんの感性が素敵だなと思ったし、そういう受け止め方があると知って、さらに優しい気持ちで観れるようになった。

いつか綺麗だった頃、まだ世界が濁る前のことが森田の中に残っていて、その頃の自分も残っていた。高校時代にいじめを受けるようになってから捕まるまでのことは別物として一気に抜け落ちた感じなのか、わからないけど、それまで閉じ込めていた過去の記憶が蘇ったんだろうなと思うし、それを引き出したのは犬とか、岡田の存在だったんだろうと思う。

実際に捕まったあとの森田の人生、森田の家族の人生、殺された人の遺族の人生なんかを考えると果てしなく辛い。辛いけれど、それでも、少なくとも森田にとっては、闇だけを抱えて生きる人生より、少しでも、人生で良いこともあったな、て思えるほうがよっぽどいい。現実に生きる私たちの人生だって、毎日がハッピーなんてことはなくて映画の中の岡田のように毎日何かしらの不満を抱えて生きているけれど、たまに、ああ生きててよかった、と思える瞬間がある。日常にあるような「救い」こそがきっと私たちを生かしてくれていて、そういった救いがこの映画の中の森田にとっても救いとなったんであろうことも印象深い。

映画の中で分からなかったことその2としては、森田はユカにどのような想いを抱いていたのか?というところ。特別な感情があったんだろうとは思うけど、単純に恋心なのか、もう少し複雑な感情なのか、そもそもなぜユカを見つけたのか、そのあたりが気になって解決しない。。ユカと岡田が結ばれたときに殺すことを決意するのは、「想いを寄せていたユカが奪われた」からなのか、「同じ底辺だと思っていた岡田が幸せになっているから」なのか。妬みというのは森田っぽくない気もするけど、ほかに良い理由が見当たらない・・・。

 

最後に、出演のみなさんについて。

剛くんのファンだから最初見ていたヒメアノ~ルだけど、インタビューなんかを見ていくうちに、そして実際映画を見るうちに、ほかの出演者のみなさんにもどんどん惹かれていった。自然体で、でも演技の上手な濱田岳くん。体当たりの演技と腹の据わり方がかっこよすぎる佐津川愛美ちゃん。役柄以上に愉快でイケメンなムロツヨシさん。。岳くんと愛美ちゃんについては私と同い年だというのにこんなにも素晴らしい活躍をされていて本当にすごい。あと愛美ちゃん初めて見たと思うんだけどとても可愛い。もはやファンです・・・。

剛くんのことや、剛くんが出ている作品はどうしても贔屓目でしか見れないけれど、それでも良かった、良い作品だと思う。剛くんは、「演技が上手」っていうのはちょっと違うんだよな。いろんな人も言っているけど、「剛くんてもしかしてもとからこういう人だったっけ?」て思わせるようなリアリティ。それは演技じゃなくてなんて言うんだろう・・・役柄に入りこんでいるわけでもないのに、本当にかっちり「森田」がそこに存在していた感じ。どうやったらそんなことができるんだろうか。・・・私はこの映画を通して、いつの間にか、俳優・森田剛の大ファンになっていることにも気づくのであった。

 

まだまだ書き足りないことはあるような気がするけど、とりあえず、以上。