キラキラな日々の記録。byぴかりん

V6とキスマイを中心に観たもの感じたこと。

許せないものの話。

許せない。許せない。

 

私を振った元彼。

ヤツの振るときの態度。

優しく見せかけて結局は自分が一番かわいくて、自分を守るためなら平気で人を傷つけるところ。

優しく見せかけて、ただ我慢しているだけで、我慢を勝手に爆発させてしまう人。

 

インスタントな出会い。

言い寄ってくるときだけすごく優しくて、何かしらのタイミングで急に切り捨てる。

使い捨ての出会い。

 

既婚者の女性の余裕さ。

既婚者の女性の、「幸せな人生に一番必要なものは愛だと思う」「私も〇〇ちゃんも、お互い素敵なパートナーと結婚して、かわいい子どもたちにも恵まれて・・」っていう発言。

それに対して、「じゃあ、愛がない私はあなたの目には不幸せに映っているんですか?」という被害妄想がちな私。

結婚していなくたって幸せ、を自称しているくせに、世の中の描く「結婚して、子どもに恵まれた家庭」こそが幸せの図であるというイメージにそのまま捕らわれている私。

 

たるみっぱなしの私の体。

それなのにどうしてまだそんなに食べる。

 

自分勝手な仕事の依頼の仕方。

検索ワードを打ち込んでEnterを押すと検索結果が出てくるように、あるいはATMで操作すれば簡単にお金が手に入るように。他人の仕事も自動的にできると思っているような節のある人。

 

許せない。許せない。

わたしはわたしが許せないたくさんのものに囲まれて生きている。

いろんなノイズが聞こえる。私を批判する声や、私なんか本当に必要としていないってことを伝える声。「そんな人生でいいの?いいわけないでしょ」って嘲笑うような声。

うるさい、うるさいって何度もかき消すように叫んでいたけど、そのノイズを発しているのはほとんどが私自身なんだと気づいた。

心は灰色でくすんでいるけど、会社を休むほどつらくもなければ、泣くことなんて滅多にない。でも本当は心は泣いているのかもしれない。

 

絶望を救うのは芸術やエンターティメントだと思う。

実際に、わたしはたくさんのショーや、映画や、本に心を救われた。特に今年の私は。

はたから見れば遊んでいるだけに見えても、その実、救われる瞬間がそこにはある。

はたから見たら、ただの「アラサーのジャニオタ」かもしれなくても、夢中になれる瞬間を、他人がとやかく言う権利なんてないんだ。

2016年の現場記録

今年ももうクリスマスのCMか何かがテレビで流れる季節。

もういくつ寝ると紅白歌合戦。というわけで(どういうわけ?)少し早いけどもう年の瀬。な気分の私が、ふと、今年現場何行ったっけ?ということが唐突に気になってきたので書いておく。本当にただの自分用メモ。一応ジャニ関連の映画も含めます。

 

2016年

4/23(土)コンサート「Welcome to Sexy Zone Tour」@代々木第一体育館

5/23(月)舞台「Foerver Plaid 2016」@東京グローブ座

5/29(日)映画「ヒメアノ~ル」@静岡東宝会館

5/30(月)映画「黒崎くんの言いなりになんてならない」@イオンシネマ多摩センター

6/11(土)舞台「MURDER for TWO」@世田谷パブリックシアター

6/18(土)映画「ヒメアノ~ル」@ヒューマントラストシネマ渋谷

7/9(土)コンサート「Kis-My-Ft2 CONCERT TOUR 2016 I SCREAM」@名古屋ドーム

8/4(木)、8/6(土)コンサート「Kis-My-Ft2 CONCERT TOUR 2016 I SCREAM」@東京ドーム

8/13(土)、8/14(日)コンサート「Kis-My-Ft2 CONCERT TOUR 2016 I SCREAM」@ヤフオクドーム

8/9(火)、8/25(木)舞台「ビニールの城」@シアターコクーン

9/10(土)映画「バニラボーイ」@TOHOシネマズ新宿

9/13(火)舞台「DREAM BOYS」@帝国劇場

9/22(木)、9/26(月)舞台「少年たち」@日生劇場

10/23(日)舞台「ABC座2016 株式会社応援屋‼OH&YEAH!!」

10/22(土)、10/29(土)映画「バニラボーイ」@TOHOシネマズ南大沢

11/19(土)映画「溺れるナイフ」@MOVIXさいたま

12/10(土)舞台「A NEW MUSICAL クロスハート」@ZEPPブルーシアター六本木(予定)

 

*少しだけ今年を振り返って。

年の初めはこんなに現場なかったの?!と今になっては思うくらい、夏を過ぎてからは現場がないと息苦しいみたいなヨクワカラナイ状況に陥っている最近。

今までは自担の現場に行くことしかしてこなかったから、自担じゃない人が出てる舞台や映画を観に行ったりすることが結構新鮮だったかもしれない。

アイドル本人、というよりもおそらく、「ジャニーズのタレントが提供するエンターテイメント」というものに興味が出てきている気がする。

 

松村北斗くん。

今年の私的事件と言えば間違いなく彼。

今年始まったばかりの頃、なんとなくセクゾに興味を持ってファンクラブ入会して。それで行ったコンサートでSixTONESという存在、かっこよさに初めて気づいて帰ってくるという。その後もしばらくはさ、なんとなくSixTONESいいよねぇーぐらいの気持ちで数か月だったのにさ。なんとなくバニラボーイを見てしまい、そのあと少クラとか見てるとさ。

「私、松村北斗くんが好き!!!!」

という電流が走り。そこから少年たちを観に行く決断をして、のめりこんでいくスピードはもう崖から落ちるかのようでした。もっと早く彼のことが好きだと気づいていればよかった、と思う反面、もっと早く気づいていたらサマステや風磨ソロもあった今年の夏、私はどれだけ現場に通い詰めていただろうか、と想像するだけでゾッとするものである。

 

*現場

キラキラしたステージを観ている瞬間の興奮、感動。それらは何事にも代えがたいものだし、なんだかいろいろあった今年の生活のうち、私の「幸せ」を占めていたものはそれらな気がする。

時間とお金をかけて観たもの、感動や興奮を与えてくれたもの、そのまま「いつか忘れてしまう記憶」になってしまわないようにと、できるだけそのステージのこと反芻して、こうやって下手な文章ながら時間かけてブログに感想を書いたりしている。文章力の限界はやや感じる・・w が、ブログとして完成させることではなく、そこに行き着くまで、ステージについていろいろ考えたりすること、が私にとって大事な時間でもあるように思う(という下手なブログを書いてることへの言い訳。笑)。

 

ショウマストゴーオン。

映画「バニラボーイ トゥモロー・イズ・アナザーデイ」 9/10,10/22&10/29, 2016

3回も観てしまいました。バニラボーイ。

最初はなんとなーく、「あ、SixTONES映画でるんだ」くらいの気持ちだったんだけど、もう1回・・もう1回・・という気持ちに駆られて結果3回。同じ映画3回も映画館で見たのは初めて。

 

率直な感想としては、この映画すき!たのしい!に尽きる。

コメディであり、青春であり、アクションあり。SFちっくでもあり、感動も恋もある。いろーんな要素が混ざり合いつつも映画の内容が渋滞していないのは、全体的にタッチが軽いからかな。

小ネタが多かったり、殺されるかもしれないっていう場面でもふざけあってる主人公たちがいたり。太田たちが優勝かけて駅伝で頑張ってるときも、本人たちの力一本勝負じゃなく、あっさり1位になれるような数々の仕組みが仕組まれているところとか軽快で。その軽さのバランス感がすごくいいなーと。ハラハラしないで明るく観ていられる感じ。

 

一番好きだったのは、ジェシー演じる太田のキャラクターと、太田とみんなとの関係性かな。

太田は、「普通がいい。ちょっとラッキーくらいがいい」とか言う割に、アメリカを救う or 目の前のヒロインを救う の二択に迫られたときにあっさりと後者を選ぶ。普通の人は、悩みに悩むし決められないよ、って思う。でもそこを、「俺たちが世界を救う側の人間なら、目の前にいる人を救えないのはおかしいと思うんだよ」(セリフニュアンスごめんなさい)っていう単純な理由であっさり決めて揺るがない。

かっこいい。単純だけどまっすぐ。シンプルだけどぶれない。このあたり、生まれながらにもったヒーローの素質があるんじゃないかと思った。

ヒロイン・三井さんに想いを寄せる姿なんかもすごくすごくまっすぐで好き。「好きだーーーー」って叫ぶ姿。そこも揺るがない。単純だけどとにかく迷いがなくてまっすぐな姿、それが見ていてとても気持ちよかった。

 

ちょっと話はそれるけど、ジェシーの演技(というと不自然なんだけど)もすごく良くて。固い意志があるのに、目力に頼ってないところなのかな。どんな危機的状況でも、どんな敵に対しても、表情は険しくなくて、ただまっすぐな瞳。目力には頼らないんだけど、腹が据わってるというか、ぶれなさが伝わってくる。

太田としても、そのまっすぐさが観てる人に気持ちよく伝わるし、きっとジェシーも素でそうなのかなと思った。シンプルでまっすぐ。

 

もう一つ、太田とみんなとの関係性。

北斗くん演じる林や、樹演じる松永は、決して自分から選んわけではなく、天才として生まれた宿命として太田のサポート役を長年務めている。

運命を決める駅伝大会を前に太田が「俺、普通がいいんだけど」と愚痴をこぼしたとき、林が太田に対して、「俺も松永も太田のサポート役の人生なんだよ」「お前がそういうんなら、俺は一緒にいるつもりはないから」なんていうことを怒って言うところがある。普通は「サポート役の人生」なんて本当はもっとつまらなくて、シリアスなテーマでもありそうである。だけど劇中では、そのあとあっさりと松永と「サポートしてやりますか」って笑いあってるし、なんだかんだ丘サーフィン部で過ごす毎日だって楽しそうにしてる。そこが好き。サポート役の人生、って悲しいワードを言っておきながら、基本的にその人生を悲観視しないのは、きっと太田のキャラクターがあって、サポート役の役割を超えて普通に一緒にいるのが楽しいからなんだと。

映画の中ではそのあたりの林と松永の心情はしっかりとは描かれていないけれど、普通に3人仲良くて楽しそうなとこからもなんとなくそういうことなのかなーと。

 

同じサーフィン部の仲間の城島と坂東、女の子2人もなかなか良い感じのキャラクターでとても良かった。際立つ(≒目立つ)キャラクターは城島と坂東に任せて、ジャニーズ側の林と松永はただかっこよくサポートしてる、っていうキャラクターのバランスも上手だなーと。そして女の子2人の恋(?)の相手も城島や坂東であって林や松永でないってところもまた上手(オタクがやきもち妬かなくて済むしね。笑)

あとは女の子2人も、普通はちょっとイマドキの女の子じゃない三井さんが急に入ってきたら嫌ったりしそうなのに、普通に接してるような嫌味のない感じが見てて気持ちよかった。

 

映画全体としては、ストーリーがしっかりしてるうえ、 伏線の回収がしっかりなされているところが素晴らしい。パスタのカーボローディングとか。ちょっと気になるのは飯塚先生と村井の恋模様ですけどね。笑

そんなこんなで、読後感・・じゃない、観終わったあとに「あー楽しかった!」ってあっさり思えるすごく好きな作品でした。DVD化・・しますよね・・?

映画の感想とは少し離れるけど、最近SixTONESを観るようになったばっかりの身だからあんまり何もわからないんだけど、でも作品を見るたびに、ジェシーの「ステージジェニックさ」(なんて言ったらいいんだろう?こういう単語ある?)というか、ステージやスクリーンにしっくりハマってちゃんと主役が務まる才能のようなものに、いつも感心してしまう。

腹が据わってるからなのか、なーんか、ステージの中央にいることがすごく自然に見えるし、ちゃんと華がある。スター性とでも言うのか、よくわからないけど。

SixTONESでは北斗くんを応援しているのでジェシー担ではないんだけど・・)もっとジェシーのお芝居やステージが見てみたいと思う。知名度を除けば、民放のドラマ主演くらいだって務まると思うんだけどね。(※なんの権力もない個人の感想です)

はぁバニラボーイすごく楽しかった。観終わったあとにラパウザで一部の麺がちょっと固いパスタ食べるとこまで含めてすごく楽しい時間だった。バニラボーイありがとう。

 

 

舞台「ABC座2016 株式会社応援屋!!OH&YEAH!!」 10/23, 2016

ABC-Zのファン、というわけでもない私が、この舞台行きたい!と思ったのは、脚本と音楽を西寺郷太さんが担当すると聞いたときだった。結果から言って、この「これは観なきゃ!」という直感は大大大大正解だったといえる。

 

西寺郷太さんと言えば、corin.さんとともに、V6に楽曲提供してくれていた方というのは(V6ファンの中ではたぶん)有名な方だ。keep oN.等の楽曲が与えてくれた「これまでのV6にない真新しさ」と、そこから感じる「変わることを恐れないV6」にはワクワクしたし、楽曲の制作にあたっても、メンバーの声質を踏まえて歌割りが考えられたというようなことを聞き感動したものだ。そして最近では、20周年のアニバコンでの39曲Synphonyの作成を手掛けていただいたことがV6ファンとして印象深い。39曲を40分に収めるという荒業だけでも大変だったであろうに、曲の終わりと曲のはじまりが上手に絡み合いそして次の曲に変わるミックス(言葉でうまく言えない)のセンスの良さはアイドルオタクでもわかるほどであったし、なによりV6や楽曲への愛情がなければできないそのメドレーの作成にV6ファンはただただ感銘を受けたのであった。

そんな西寺郷太さんがつくるステージ、絶対に面白いに違いない。そう思って友人に頼み、無事チケットを取ることができ当日に至る。

 

幕が上がった瞬間から、現れたのはキラキラのABC-Zだった。もう私はここで、「あ、これ好きなやつだ」と確信する(早い)。

テンポよく進んでいく話。若いころからゲーム開発などで才能を発揮してきたいしけん(はっしー)は、DEGITAL CORPSという会社を興して企業をつぶしてきたが、あるとき(後の応援屋の)社長と出会い、人生が変わる。そしてもっと人のためになることがしたいと「株式会社応援屋」のメンバーを集め始める。ざっくりそんな話。

 

驚いたことは複数あるが、いわゆる「ジャニーズ舞台」(わかる人にはわかる)とは一線を画すほどの劇や音楽のスタイリッシュさ。なんというか、オシャレなのである。それでいて「ジャニーズのアイドルの舞台」の枠内にある。

そして何より、観ていてすごく楽しかったのだ。以下、長くなったので印象的だったところを項目で。

 

(1)メンバー演じる役の絶妙さ。

とっつーは甲子園が大好きなローカルなコンビニ店員、河合さんは予備校講師(をクビになったばかり)、天才棋士・桂馬の五関さんに、五関さんにずっとあこがれて将棋を続けてきたが挫折して、ひきこもって筋トレとDJしてる「くりくり」ことつかちゃん。

 

この舞台は郷太さんがもともと持っていたストーリーに「当て書き」したと雑誌で読んでいたので、なるほど上手にえびのメンバーそれぞれのキャラクターを引き出すな、と感心した。特に天才棋士役の五関さんと、ちょっと変わった引きこもりの塚ちゃんへの役の当て方はもう天才かと思った。

五関くんは、普段感情をそんなに表に出さないイメージがあるけど、桂馬は口の悪いこともいうし、ヤケ酒もするしで、五関さんのニヒルな部分をクローズアップしてくれてかっこいい。しかも革ジャン着せるとか天才か。途中、心の葛藤を表すシーン(だと思う)で、五関さんが一人で乱れながら転がり舞うみたい演出があったのだけど、そこで、五関くんの持つダンスや表現に関する才能にスポットライトが存分に当たっていて大変素晴らしく、このシーンを用意したひともまた天才かと。

えび座においては5人全員が主役なんだろうけど、仮に主役がいるならぜったいに桂馬だろう、って思うくらいキーとなる役柄を五関さんが演じていたことは印象深い。

 

引きこもりでどこか変わっているけど一生懸命な役どころは塚ちゃんのキャラクターにとてもとてもマッチしていた。塚ちゃんの「まっすぐなエール」は何よりも心に響いた。桂馬に対して「将棋を続けてほしい」「自分が将棋を始めたきっかけは桂馬だから、桂馬には将棋を続ける責任がある」と一生懸命に伝える塚ちゃん。誠実に「好き」なものと向き合い、心の底から好きなものが続くよう願う姿はとても心を打たれた。

人工知能CATANAとの一戦を前にした桂馬に「アナログの力を見せてやれ」ってエールを送るところの塚ちゃんは、すごく人間くさくて胸が熱くなり、思わず泣いてしまった程。

この物語の大きなテーマとして、「人工知能などのデジタルデバイスが発展する中で人間は何ができるんだろう、でも人間だって素晴らしいはずだよね」みたいなものがあるように思ったんだけども、そのテーマを一番、頭にも心にもちゃーんと伝えてくれたのが塚ちゃんの「人間くささ」だったように思う。

 

あとは五関様も塚ちゃんも声が通るところが素晴らしい。塚ちゃんが誰にも負けない声量で圧倒的だった(そしてそれが役柄にもマッチしていたので相乗効果でよかったのだけど)のはもちろん、五関様も声がよく通るのは意外だった。最初は後ろ向きな気持ちの演技のため落としていたと思われるボリュームが後半、桂馬の気持ちの移り変わりととも上がってきたときには、胸が高鳴った。 

(余談だけど、舞台においては、演技力なんかも必要なんだろうけど、一番大事なのは「声が通る」かどうかじゃないかと素人的にはたまに思う。だっていくら素晴らしい演技をしていても何て言ってるかわからなければ伝わらないんだもん。)

 

(2)楽曲がいい。 

今回のために作られたとの楽曲も劇の各場面を象徴する楽曲でありながら、劇を彩り、本当にスタイリッシュ。しかしただ、「劇の場面に合った曲」「良い曲」というわけでなく、ちゃんとどこかに「アイドルらしさがある曲」になっている。

「アイドルらしさ」というとわかりにくいけど、いわゆるジャニオタが好きな曲。ダンスが合う。なんか思わずペンライト振りたくなるアイドルチューン。

「人の心はマスマティック?」、「Delicious」などは本当に楽曲として単純に素晴らしくて思わず元々のえびの楽曲としてちゃんと作られた曲?と思わずにはいられないほど。え、これ、サントラ発売しないんですか???劇中だけで終わるのもったいなさすぎーーーー。

 

(3)最高のバランス感 

脚本と音楽の素晴らしさ、それがただ単体で素晴らしいだけじゃなく完全に「A.B.C-Zというアイドル」のために用意された素晴らしい脚本と音楽であることがひしひしと伝わり、「ちょーーーーーーたのしい!」という気持ちとともに、「えびとえび担が羨ましすぎる」という感情が輻輳する状況に陥った。

これほんと、えびずるいよ…西寺さん、自担にも書いてもらえませんかね…

 

このあたりのバランス感は本当に何度でも言いたい。私たちジャニオタは「ジャニーズの舞台」を観に行くとき、ただ舞台の面白さを求めていくわけではない。しかし自担が出ているからと言ってなんでもいいわけではない。このあたりの複雑な気持ちを綺麗に解いてどっちも満たしてくれるのがこの舞台だと思った。

「ジャニーズの舞台」は、私の中では典型的に、ど派手な演出を使い、ストーリーはややトンチキ。そしてたまに脱いだりする。みたいなイメージ。(好きな人もいると思うし、それの良さを十分にわかっていない私が未熟なんだろうけど)自担が出ているから行くけど、、、って感じ。ジャニーさんごめんなさい。

それをこのえび座は、「ジャニーズにしかできない舞台」でありながら、しっかりと舞台そのものとしても面白く作られている。こんなのを待ってた。待ってた。こんな舞台があるなら何度だって観たい。これこそジャニーズエンターテイメントだ。

 

 パンフレットを買って帰ると、郷太さんはパンフレットの中で、「A.B.C-Zをはじめ、ジャニーズのメンバーほど“応援される”ということに人生を捧げ、誠意を持ち続けている集団はないんじゃないか、ってあらためて痛感しました。」と語っている。この一文が、すごくすごく大好きだと思った。

この舞台が素晴らしく、そして楽しいのは、きっと郷太さんの音楽的なセンスもさることながら(そこはわざわざ私が評価するところではないと思うけれど)、メンバーたち、ひいてはアイドルへの愛情と敬意がベースになっているからではないかと思った。そして、それに(それだけじゃなく観客に対しても)誠意をもって、応えるアイドルたちがいるからではないかと。

キャラクターを見極め、それを引き出すステージの土台をつくる。ただ素晴らしい脚本や音楽はほかにあるかもしれない。ただ、こんなにもアイドルがキラキラ輝くステージはなかなかない。本当に本当に楽しかった。

 

(4)心残り

欲を言えば、本当に欲張り言えば。

もう少し「株式会社応援屋」がどんなビジネスでどんなふうに利益を出しているかを説明してくれてもよかったなーと思うのと、桂馬がCATANAと戦うところは、感情面だけじゃなくて戦略的なところに関する説明もあればよかったなーと思った。むしろ良いストーリーだったからこそそこが逆に気になってしまったのかもしれないけど。

 

(5)五関様

本編とともにショータイムを通して、私の目線は五関様に釘付けだった。とにかくダンスが綺麗。もっと五関くんががっつり踊るところずっとずっと見てたいという気持ちになったことをここに報告します。。(誰に)

 

舞台「ビニールの城」 8/9,8/25 2016

やっとこの舞台についての感想を書いた。

今回、大変ありがたいことに2回観劇できたのだけれど、1回目観たときからもう頭の中がぐるぐるぐるしていて、早くこの気持ちを何かに書き付けておきたいと思う一方で、自分の感想や自分なりの解釈がまとまらなすぎてなかなかブログに手が出なかった。

1度目。

「今まで見た舞台の中(といってもそんなにたくさん見てないけど・・)の中で一番難しい!」と思った。言葉の響きや熱量、その中にふわふわと浮遊する感じ。そのような感覚に包まれてとても気持ちがよい。しかし、正直に言って、作品をきちんと理解できているかというと、腑に落ちていないままだった。

つい私は、登場人物の行動やせりふ一つ一つに(現実的な)意味を求めてしまう。

バーの中に池があること。朝顔の住んでいるアパートの隣の部屋の女は壁穴から覗いて恋に落ちるところ。水槽に沈んだ人形を、手錠をかけて救い出すことに何のメリットがある?という疑問。謎のマジシャンのような役割、引田の存在は何なのか。。等々

実際の行動の意味だけでなく、現実世界にはありえないあれこれの設定にまで躓いてしまい、劇の中の不思議な感覚と、頭の中の疑問を抱えたまま、この舞台について考えることが止まらない状態がつづいた。

日常には、もっとわかりやすいものがたくさん溢れている。こうやって、(ただわからないだけでなく、「わかりたい」と思える)「わからない」作品に出会えること自体は好きだし、出会える瞬間は貴重で、豊かだ。そういう考える幸せをも感じ取れた。

そう思いながらも私は気づいた。「私は少し頭が固かった。きっとこの舞台は、不思議な世界に迷い込んだつもりで、もっと力を抜いて観ればよかったのかもしれない。ふわふわと感覚的に見ればいいのだ」と思った。

しかし、しかしだ。

公演が終わってビニールの城のパンフレットを読んでいると、故・蜷川さんと唐さんとの対談が載っており、そこには「唐さんの戯曲は衝撃的なようでいて、確固たる裏付けがあるんだ」との言葉。。。そう言われてみると解き明かしたくなるじゃないか。。。でも決して「解き明かす」ことが最終目的になってはいけないとわかっているけれど、とにかく「わかりたい」そう思った。そしてそこはともかくとしても、圧倒的な熱量を持った言葉たちを少しでも掬い集めたかったー。その気持ちから2度目の観劇の際はメモ帳をもって挑んだのであった。

 

2度目。

言葉を書き留めることで、流れていく言葉たちの一部を拾うことができたように思った。そして、圧倒的な熱量と言葉のきらめきの中で浮遊する感覚が前回よりも癖になっていることに気づく。これが唐十郎の舞台か。。。

 

2度目から約1か月たっても、この舞台のことをふと考えてしまう時間があり、でも少し自分なりに腑に落ちたところもあった。ということで、観たときに疑問に思ったところと、自分なりの考えを書き付けておく。

(・・・と思って書き出してからさらに1か月たってしまった(笑)。)

すべて私の思い付き・自分なりの解釈だし、劇中のセリフを引用しているところはおぼろげな記憶に基づいているのでご容赦を。

 

①:なぜモモは朝顔に想いを寄せたのか。

モモが朝顔に想いを寄せたのはどうしてだろうか?単純に、隣の部屋に住む男性が自分が表紙のビニ本を持っていて、ビニ本に向かってある日「愛してる」と言った。それだけで「一緒になりたい」「私をビニールから出して」と求めるほどに想いを寄せるだろうか。ましてや、夕一(注:ゆういち。笑)のように愛してくれる男がいたにも関わらず。

夕一と朝顔が話すシーンで、夕一は、「朝顔は人格のないビニ本の女と、沈黙の人形とを一つのマナイタに置いた、そこがモモが恋をしたところだ」と話す。どうして生身の女としてではなく、人形と同じように(生身の人間ではなく)本来人格のない存在しか心を開けない朝顔に惹かれたのか。

そしてさらに、そんな朝顔に想いを寄せたのに、どうして、ビニールを破って(生身の人間として接して)ほしいと思ったのだろう。そこが少し矛盾しているように思って不思議でならなかった。

 

以下は私の解釈。

モモはビニ本の女として、性の対象として、いわば「商品」として見られるだけのことは望んでいなかった。しかし、ただ生身のモモを愛されるだけも望んでいなかった。おそらく、ビニールの中の自分も愛して欲しかった、なぜならそれはきっと、モモにとってビニールの中は、苦しくありつつも一つの彼女の存在のアイデンティティーだったから。

そこに現れた朝顔は、性の対象としてではなく、本来無機質なはずの人形とビニ本を同様に扱った。同様に扱うだけでなく、人形やビニ本の無機質なはずのものを愛する朝顔の姿。それを見たモモは、この人なら、私を本当に「私として見てくれるのではないか」と、希望を見出したのではないのだろうか。

苦しいというビニールの中。絶望もあるけれど、モモにとってはそうやって生きていく以外に手段が見つからないとしたら。

「ビニールから出して」という言葉は、ビニ本の仕事をやめること、と同義ではないように思う、なんとなく。それだけなら、仕事はやめれば済むだけの話(経済的な問題はあるかも?しれないが、実際に夕一と結婚して仕事はいったん辞めていたわけだし)。

感覚的な理解のうえでだけど、モモは「ビニールの中に絶望し、忌み嫌いながらも、そうやってしか生きれない、そこでしか輝けない私」であり、そのモモにとって、「ビニールの中の私を、商品や性の対象として扱うのでなく、人格(実際人形と同等に扱っているので人格じゃないんだけど)を認めてくれる人」に「生身の女として愛されること・一緒にいられること」が、それまでの生活には存在しなかった希望であり、今の生活を変えられる“何か”だと思ったのではないかと思う。

(女ってなんかそういう面倒くさいアイデンティティみたいなの持ってるところあるよね。そしてもっと単純に考えると、女として、好きになった人と一緒にいられれば、それだけで世界は変わったように見える、そういうところもありますが。)

 

②:そもそもビニールとは何なのか

そもそもこの作品のモチーフとなっている「ビニール」とは何なのか。モモは何の中にいるのか。これって、わかるようでわからないと私は思った。

現実にかかってる薄い膜。現実とを隔てるもの。臭いを隔離してビニールを破らない世界は綺麗なままである。想像を巡らせてみると、私たちの生活の中でも、たくさんそうやって「リアル」から目をそらして、またはフタをして生きている現実はある。

陳腐なたとえで言えば、たとえばスマホやパソコンのディスプレイなんかは現代のビニールだとも言えそうである。画面の向こうの現実は、本当に現実でも現実じゃないように感じ、臭いはしないし、面倒であれば画面を閉じれば終了し、数回のタッチで誰かとのかかわりを拒絶することだって簡単にできる。都合の良い現実。そういうものだろうか。

モモは、朝顔に「あなたがビニールを破らないのは、獣の匂いがするのが嫌なんじゃないですか」と言った。

この舞台の中での切なさは、そして現実の私たちの切なさは、朝顔がそうであったように、ビニールを破らなくたって、何も困ることなく生きていけることである。都合の良い現実を生きることで、それが何か欠けていると言えるだろうか?-深く現実とかかわることで得られる何か、を得ない人生だって明確に何かが欠けているとは言えないのではないだろうか。

頑なにビニールを破ろうとしない朝顔と、必死にビニールを破ろうとするモモの姿は、対比的であり、しかし一向に交わらず、悲しく切ない。実際には獣くさく、人間くさく生きている人の声や必死さが、響かない・届かないことだって、ビニールの外側で生きている人からすればデメリットではないかもしれない。

実際に、この物語は、ほとんど何も変わらないまま終わる。ビニールは破られないまま、モモはビニールの城に戻り、朝顔は(最後に人形の声が聞こえなくなり、モモを追うものの)ずっと心を開かないままで、夕一は誰にも愛されないままである。誰も死なないし、誰も不幸にならないが、何も変わらない。変えられない。だからこそ悲しい話のように思う。

都合のいい現実を生きること、それが間違っていると言えないのではないか、という私の感覚すら、もしかしたら現代的なのかもしれないけれど。

朝顔が水中の人形を救出するシーンの前に、腹話術師の誰かのせりふで、「バランスが崩れないと、一生このまま(そんなのは嫌だ、というニュアンス)」というのがあった気がする。一生このまま、の悲しさ。

 

③:朝顔にとっての人形や夕顔の存在とは何か

冒頭から、朝顔は夕顔を「夕ちゃん」と呼び、夕ちゃんとこんな話をした、という話をする。朝顔にとって人形とは「遠くからきた人」であり、「自分の腹の声はわからない」という。朝顔にとっての夕ちゃんとは、これはパンフレットでも言われているとおり、朝顔そのもののことなんだろう。

腹の声がわからない朝顔。夕顔の声として聞いていた声はすべて自分の腹の声だったんだと思う。私自身考えてみると、日々、生身の人間と接する中で生じる摩耗、そしてそれに呼応して動く自分の醜い感情、そのようなものを、自分のものではないと思えたらどんなにラクだろうか、と思う。朝顔は、きっとそれらをすべて夕顔の声として聴き、自分から切り離す。切り離すだけでなく、「遠くからきた人」として、自分とはもっと別のものだと考えていたのではないだろうか。生身の人間やビニールの中のものだけでなく、自分の中の醜さも避けていたのではないか。

「夕ちゃんは、子供が嫌いだと言った。あるいは、子供の心を持った大人が嫌いだと言った」そんなことを朝顔は話すが、その世界を忌み嫌う気持ちは朝顔のものだった。

水中救出劇の前に、ゴーグルをつけて人形たちに語りかける言葉。「駅のホームで一人たたずむ少年、その少年の手には手紙があり、『さらば14歳の人生、さらば現れなかった友よ』-その現れなかった友とは君たちのことではないのか?」。人形たちに対して、そうやって語りかける。「現れなかった友」とは、だれかを裏切って、あるいはだれかが裏切られる場面に遭遇しながら黙ってみていたのは朝顔自身のことだったかもしれない。

最後に、夕ちゃんと再会したときには夕顔の声が聞こえなかった朝顔は、おそらく自分の感情に気づき、悩みや苦しみ、様々な感情を感じているのかもしれないと思った。

 

以上が自分の疑問に対する自分の答え(笑)。

あとは、印象に残ったシーンなど。雑に。

 

①モモが電気ブランを飲みすぎて朝顔が口に指をつっこんで吐かせるところ。

モモと朝顔が隣に住んでいた時のことを話す中で、いつか飲みすぎた朝顔の口にモモが手をつっこんで吐かせたことがあった。その時に、朝顔が「いつも夕ちゃんの蝶番を直すときにこうやって口元に手をいれることがあったが、今日まで自分の口の中に他人の指が入るとは思わなかった」と話す。不思議なシンクロニシティシンクロニシティというのが適切なのか疑問だけど)。

おそらく物理的なふれあいではなく、そういう行為のシンクロニシティに、モモはつながりを求めている感じがしたところが印象的だった。モモはそれ以外にも、朝顔がマヨネーズを塗ったパンを食べていたことを思い出して、サラダのマヨネーズの中に顔をつっこんだりもしていた。

夕顔を同じ「夕ちゃん」だから夕一と結婚したように、ただ触れたい近づきたい、という類の愛情ではなく、精神的にどこかでつながっていたい、という感覚なんだろうと思った。

 

②モモが、「いつも放ったきらめきでのぞけば、ここはやはり塔の上です。」と言って、ビニールの城に飲み込まれていくラストのシーン。

悲しく、美しい。

上記で、何も変えられなかったストーリーだと言ったけれど、変わらなかったことには、モモのアイデンティティもあるんだと思う。それまでは苦しいと言っていたビニールの中へ戻るモモ。最後のシーンでは、それまでずっと履いていた雨靴を脱ぎ、池の水の中に足を浸す。それまでは、よく考えればずっと雨靴を履いていて池の水に足を浸さなかったことはもちろん、水槽の前でも自分は水に触れなかった。

ビニールの城へ向かうところの歌では、「ビニールの城で姫を気取っています」というような歌詞を歌ったモモ。

苦しい苦しいと言いながらも、ビニールの中は結局はモモの居場所があり、ビニールの城の塔のうえでこそ輝けることをわかっていて、アイデンティティをもっていたのではないかと思う。水はモモにとって離れたかった現実か何かであって、しかしながら現実を受け入れ、ここで生きていくと覚悟を決めたのが雨靴を脱いで、水に足を浸した瞬間なのではと思った。

 

③歌

雑感。全編を通して、剛くんは「生身の人間と向き合うことのできない朝顔」だったけど、歌のシーンだけはどうもね、、、「現役のアイドル」であることがどうしても隠しきれていないような良い声してて(笑)、良いんだけど、「あーーー剛くんだー!」って思った瞬間でした(笑)。

 

 *

最後にいろいろ

1度目みたときより、2度目のほうが、自分なりの理解もそうだったけど、剛くんの演技も引き込まれるものがあって、もしかしたらこの作品は剛くんにとっても自分のものにするのが難しかったんじゃないかな、なんてことを思ったりもしました。

観劇したときはピンとこなかった「ビニール」のモチーフだけれども、日常を生きるうえで、傷つくのが怖くて、自分が傷つくくらいなら相手を拒絶してしまう(されてしまう)ことってあるなぁと思う機会があり、なんとなく、この作品のことを思い出してた。

そうやって思い返ししながら、ずっと下書きに書いて書き足して、を繰り返して観劇してから2か月も経ってしまった(笑)。それくらいかけても、ちゃんと自分の感想を残しておきたかった作品。自分の解釈やなんかには的を得てないところもたくさんあるのは承知のうえだけれど、本当は解釈なんかはどうでもよくて、ただただ「こんなに良い作品に出会えてうれしい」という気持ちです。

 

マナーについてちょっとだけ思ったこと。

マナーのことについてちょっとだけ思ったこと。これはキスマイに限ったことじゃない。そして、「マナー守らないやつ多すぎ。最悪。」という話がしたいわけでもない。


何かというと、コンサート終わったあとに、「近くの席にこういう人がいて全然楽しめなかった。最悪」というような趣旨のツイートが拡散されることが多くて、個人的には何だかなー。って思うってこと。


盗難とか犯罪レベルの話は、ちょっとレベルが違うので置いといて、だけど、なんかそういうツイートの中でも、「あまりにもステージ見えなかったんなら、その場で言ったらどうかなー?」と思うことがたまにある。でもその人に面と向かって言えないかもしれない(面と向かって言えばトラブルになったりするし席離れてるケースもあるかもしれないし)、それなら係員の人にでも言うか、言えないならもう諦めて自分なりに楽しむしかないんじゃない?と思うんですよね。。。。


「マナーを守ろう」っていう人が正しいようにも見えるし、実際マナー守って楽しむことは重要だと思う。ただ、何万人もいれば、その人ぞれぞれの持っている道徳心は違うだろうし、ついついはしゃぎすぎてうちわを高く掲げてしまうこととか超超叫んじゃうことだってあるかもしれない。そんな時に、目くじら立てて規制していくより、もう少しみんなお互いに寛容な方がお互い気持ちいいのかなって。。。


あとは、「この人迷惑!」って思った相手だって、悪意もってやってるわけじゃなく、迷惑かけてたってことに気づいてなかっただけってことはあるんだと思う。そういう時に、完全に悪意を持った言い方で言われると、その人たちの楽しんでた気持ちも踏みにじってしまうような気がして・・だから邪魔とか思っても、優しく言ってあげてはどうかというのが個人的な意見。


実際に私の話になるんだけども、中学生くらいに舞台見に行ったとき、上演はじまっても隣の姉としゃべってて。(今思えば超超迷惑なの思うので顔から火が出そうですけど)でも気づいてなかったしわかってなかったの、それが迷惑だってこと(まぁ案内とか読めよって思うかもしれないけど、それくらい何もわかってなかったの・・幼くて・・すみません)。そのときに、静かに注意してくれたお姉さんがいて、それで迷惑だったんだって気づけた。そのときはそれからもうしゃべらず黙って観劇して楽しめたけど、たとえばそれが今の時代で、観劇中誰も注意してくれなかったのに、後からツイッター見たら「隣の人たちがずっとしゃべってて超迷惑で楽しめなかった。まじで最悪。」とか書いてあったら、楽しい気持ちも吹っ飛んでしまうだろうな・・と。だから今でもそういうツイート見ちゃうとなんだか心がチクっとしてしまうんだよね。

 

みんなが楽しめるための「マナー」だと思うので。。気づいてないかもしれないから「伝える」、それができないなら、「スルーして楽しむ」ような感じでどうなのかって私は個人的に思っている。

舞台は舞台で、もうちょっと厳格だけど、コンサートなら特に、ね。みんなお祭り気分だし(笑)

 

誰が見てくれているかわからないこのブログだけれど、マナーについては人それぞれ意見もあったりすると思う。嫌な気持ちになった方いたらごめんなさい。では。

コンサートツアー「I SCREAM」 7/9, 8/4 & 8/6 2016

キスマイ夏のツアーーーーーー!!!!!!!!!!!

が、とても楽しいのでテンション高め。 

名古屋7/9、東京8/4、8/6に入ってきました。あとは福岡両日入るけど、とりあえずここまでの感想ざっくりと。そして乱雑に。

※ネタバレあります。

 

最初に名古屋で見たときは、本当に消化不良って感じで、楽しかったとか楽しくなかったとかじゃなく、「よくわかんないまま終わった」て感覚が強かった。

Summer Breezeの口笛に合わせたシュルシュル~♡って動き、MUCHUの付け耳、キスウマイのスクリ~マ~ズとのコラボ、I Scream Nightの水を浴びる演出、初の自担(宮っち)ソロ・・・。

もう、いろんなもの詰め込みすぎじゃない?!詰め込んでるわりに一曲一曲が短くて余韻に浸る間もなく次の曲行っちゃうじゃん?!大喜利ないからキスマイのわちゃわちゃも少なくない?わちゃわちゃないから「おい宮田~ww」的な宮っちが観れなくてただのイケメンで終わっちゃうじゃん???しかもFlamingo、な ぜ 2 番 (自担ソロパート有)を カ ッ ト し た !!!!!夕空、前回ツアーのifみたいな感じでしっとり歌ってくれることを期待してたのになんでMCの延長線上で歌っちゃうの???

 

以上、名古屋で初日を迎えた私の感想(笑)。

今までのツアーは、ジャーニーとワールド、2ツアー続けてストーリー性というか、今自分がどこにいるのか迷子にならないような感じだったから(同じような構成が2年続いてて、さらに同じテイストで来られるとそれはそれで嫌なんだけど)、それに比べると、「いま私どこ?」っていう戸惑いは大きかったように思う。今思えばだけど。

※冒頭で「今回のツアー楽しい♡」と言いながらこのディスり具合なにって感じでしょうけど(笑)、その当時の私の素直な感想なので一応残しておく。

 

そして約1か月を経て、東京で見てみると、なぜかすっごく楽しめた。

セトリが(私に)なじんできたから??なのかはよくわからないけど、名古屋終わったあとに、「なんかいろいろ面倒なこと考えてたらだめなんだなー」と思って、もう「単純に楽しもう!」ってマインドセットされたことも大きいかもしれない。

みっくんはツアーのことを「おもちゃ箱みたいなコンサートになってくれたらいい」と言ってたらしいけど、そのコンセプトを踏まえるととても府に落ちる。ストーリーを追うんじゃなくて、そのときそのときのきらめきを楽しんでいく。

ジャーニーからワールドで、なんとなく定型化してしまった「キスマイのコンサート」を崩してくれて、ただシングル曲を歌って踊るだけじゃなくて、ユニークな「仕掛け」を入れてくる。おもちゃみたいに。

 

あとは今回全員分のソロがあることが本当に本当にうれしいよね。初めて宮ソロ見るとき、MCあたりからとっても緊張して落ち着かなかったよ・・・。そして3回入った今でも、いまだに落ち着いて宮ソロ見れていないよ。。。笑 

宮ソロに関しては私ごときが上手なことは言えないけれど、それでも、今まで宮っちのヲタクであることって、結構飛び道具みたいな感じで使われてきたと思っていて。飛び道具、というと伝わりにくいけど、話題性というか、「キスマイにこんな面白いやついます!」的な文脈の中で使われること多かった気がするし、それが悪いことじゃないけれど。でも、ドームの真ん中で、キラキラ「ヲタクだったってIt's all right!」を歌う俊くんを見てると、なんていうかほんと、、その、、個性はあるし話題性もある曲だけど、もうすっごいドームの真ん中が似合うような気がしたのです(急に俊くんって呼び出してすみません)。「面白いから」好きなんじゃなくて、もうその個性を取り除いたって好きだし、ただただ輝いていたと思えた。これはヒャダインさんがポップな曲をつくってくれたからだと言えるし、俊くんがずっとヲタ芸やってきたことにもよるかもしれないけど、とにかく、こんなに「ヲタク」が、「宮っち」が、メインストリームになるなんて!!みたいな感動を覚えたんですよね。

細部を語ればキリがないんだけど、、、記録残しておきたいのは、今回のツアーの俊くんは格別に良いってこと。いや、今までだっていつだって最高だけど。

まずビジュアルをツアーに向けてキメてきたこと。8/4に、俊くんアリトロから2列目の距離で見ることができたんだけど、本当に本当に本当に・・・・・(略)・・・本当にかっこよくて。ファンサなんてもらえてないけどファンサなんてもらわなくても十分死にかけた。。みんなに手振りながら、一瞬真顔に戻ったんですよ、あのひと。その時のイケメンぶりったらねぇほんと。みんなあのキャラに騙されてるかもしれないけど本当はただのイケメンなんだよ?「宮田」なんてなめてかかったらそのイケメンぶりに驚くよ??

あとはこれはいつもだけど、さりげないフォローは本当にさすが。たとえばなんだけど、にかちゃんバースデーサプライズの時に、にかちゃんが「すのーまん早くいけよ!・・・次センステだろ?」って言ってて。もうこのツンデレ、かつ(俺のことなんていいから!)発言もすごい好きだったんだけど、その後に俊くんは「ちょいネタバレやめて(笑)」って言ってたの。なんかそれ聞いて、観る人の気持ちも踏まえつつ、誰も傷つけない言い方をしているところがほんとに最高にバランス良いなぁと思ったんです。

直前にあった俊くんのMYOJO1万字インタビューでも、これまではその場その場でメンバーに合わせていたような、メンバーにいじられていたような(つまりは振り回されてた)イメージのあった俊くんが、もっと確信犯的に、「キスマイをこう見せたい」っていう気持ちを持っていることがわかってとてもうれしかったし頼もしかった。もうファンの気持ちもすべて、伝わっていないようで伝わっていたんだっていうことも感じられて嬉しかった。今回、Re:の歌詞をまとめたのも、藤北でもなく宮っちってとこも、キスマイらしいようでいて、意外と「お、きたか!」と思って。俊くんがそうやって確信犯的にキスマイを動かしてくれるなら、もうこれからのキスマイにも期待できるなって、そう思ったのでした。

 

 

とりあえずさ、キスマイのいる夏、楽しいよ! あとは福岡今週末楽しんできます♡♡